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障がい者権利条約、年内に採択の見通し

「歴史的な瞬間に立ち会えた感動を今後も忘れることなく、運動を地方でも展開していきたいと心をあらたにしました」―平野みどりさん(DPI=障がい者インターナショナル・日本会議副議長/熊本県議)は、ニューヨークで国連アドホック(特別)委員会を傍聴し、障がい者権利条約案が基本合意した瞬間の感動を語ります。

今回の特集では、年内に国連総会で採択の見通しとなった障がい者権利条約についてお送りします。(編集部)

私たち抜きに、私たちのことを決めるな!

八月一四日から二五日まで、第八回特別委員会が開かれ、一〇〇を超える国や地域が出席。条約モニタリングシステム、定義、教育、ジェンダーに関してなど、各国の状況や文化の違い等により意見が合わない部分に議論が集中しました。毎日、進んだり紛糾したり、一〇時から一八時までの会議と非公式の関係国協議を重ね、条項ごとに賛否や譲歩、修正案を出し合い、合意により採択が進められました。最後の争点「外国の占領下の障がい者を危険から守ること」の文言については投票採決となり、賛成一〇二カ国、棄権八カ国、反対五カ国(日本を含む)で最終日午後八時に全文採択に達したのです。

人権条約は女性差別撤廃条約、子どもの権利条約など七つありますが、障がい者の人権を明確に保障する条約はこれが初めて。

障がい者による「全ての人権及び基本的自由の完全かつ平等な享有」を目的とし、障害のある人に対する差別の禁止、平等の確保を規定し、障害のある人々の政治、経済、社会、文化などあらゆる生活の分野での権利を規定しています。

四年間の討議を重ねて合意に至った障がい者権利条約案は、@健常者以上の特別の権利を創設するものではない、A非差別平等を実質的に確保するという基本概念で作られています。そして実質平等を確保するために、@障害の概念に環境との関連を示唆し、A合理的配慮の否定は差別だとしています。また、B手話の言語性を確認し、Cアクセシビリティ(建物・交通・情報・司法)、Dインクルージョン(共生)を進めるとしています。

当事者運動を背景に条約制定へ

障がい者権利条約は二〇〇一年の国連総会で提案され、翌年国連本部で特別委員会が発足しました。

二〇〇二年一〇月、札幌・DPI世界会議では条約と各国の差別禁止法の必要性が宣言されました。〇三年六月の第二回国連特別委員会では、身体、知的、精神障害の当事者団体がニューヨークに集結し、NGOのリーダーたちが「私たち抜きに私たちのことを決めるな!」とくり返し発言。条約制定には、こうした国際的な障害当事者運動が大きな推進力となってきました。

平野さんらが条約に大きな期待を寄せるのは、日本において「既存の人権条約は障がい者問題には役に立たなかった」(東俊裕弁護士)という反省があるからです。憲法一四条には「すべて国民は、法の下に平等であって人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とありますが、「障害を理由にした差別を禁止する」憲法規定がないことに加えて、「不合理な区別」と言われる差別のいったい何が不合理か?が、分かったようで、分からないのです。「どこまでが許されて、どこから差別なのか、何が求められる配慮なのか?ものさしが必要」。日本政府団のアドバイザーとして条約作りに参加した東俊裕弁護士は語ります。差別禁止法についても「罰則規定を作ることが問題ではなくて、何が差別か?ものさし(ルール)を作ることが目的」です。こうした差別禁止法の基本となり制定を促すのが障がい者権利条約なのです。

国際的な機運のたかまり

世界四三ヵ国(二〇〇〇年時点)で、障がい者差別を禁止する法律が制定されていますが、きっかけとなったのがADA(障害をもつアメリカ人法)です。障害を理由とした差別を禁止し、社会の側に「合理的配慮義務」を課し、この義務を果たさなかった場合は差別に該当し、違法とされます。

たとえば、飲食店でスロープがない、筆談での注文をさせてくれない、銀行のATMが視覚障害のある人でも利用できる形態になっていないことは、いずれも「合理的配慮義務」違反として差別になります。 ADAから五年遅れて、イギリスでも差別禁止法を制定。二〇〇〇年秋にはアメリカで差別禁止法世界会議が開かれ、世界的な制定運動に弾みがつきました。

こうしたなか二〇〇一年には、国際人権規約委員会から最終見解として日本政府に対して三一項目の勧告がなされました。勧告は、「障害のある人々に対する差別的な法規定を廃止し、かつ障害のある人々に対するあらゆる種類の差別を禁止する法律を採択するよう勧告する」(第五二項)としています。

NGOと政府がいっしょに議論

今回の条約案作成で画期的なのは、各国の政府団員の中に、多くの国が当事者のNGOを入れたことです。つまり、政府とNGOが一緒になって、政府見解を作ったのです。その中では、せめぎ合いも当然ありましたが、政府とNGO、それぞれが同じ目標に向かって、席を同じくして進めてきたことは、大変意義深いことです。

日本の場合も東弁護士がアドバイザーとして政府代表団に参加し、当事者として差別の現状をねばり強く説明、「政府との意見調整においても踏ん張った」と高く評価されています。また平野みどりさんらは、会議の間に行われるNGO主催のサイドイベント(シンポジウム)に参加し、日本の現状と条約の必要性、今後の取り組みについて話してきたそうです。

こうした今回のやり方は、今後の条約・法律・条例作りのモデルとなるものです。

千葉県・障がい者差別禁止条例

条約はまもなく国連総会で決議され、いよいよ各国政府の批准が課題となりますが、東弁護士は「条約批准も重要だが、差別禁止法制定などの国内立法作業がより重要」と語ります。条約の実効性を確保するためです。

条約案作成・合意に向けて積み上げてきた議論をふまえて、差別についての考え方や政府・自治体・社会の責任を明確にし、当事者の声を基本に日本社会の問題点を具体的に調査し、議論を深めること自体が重要な過程だといえます。

そうした意味で、一〇月一一日、全国で初めて可決した「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」(以下、「差別禁止条例」という)は、注目に値します。差別禁止条例は、「福祉サービス」「雇用」「教育」「不動産取引」など八分野で、何が障がい者差別にあたるかの具体的規定が示されています。実際に差別を受けた場合、知事に対して差別解決のための申し立てをすることができます。また申し立てに対しては、第三者機関となる「調整委員会」が、当事者らから意見をきいた上で、助言などを行うしくみも作られます。

内容だけではなくプロセスが大事

「条例の内容よりも、県民一人一人が障がい者差別について考え、差別のない地域づくりについて話し合うプロセスが大切だと考えている」―千葉県知事・堂本暁子氏も語っています。千葉県では計画を作るに当たって、当事者を含む県民から「差別に当たると思われる事例」を広く募集しました。何より「理不尽な悲しい思い」をしてきた当事者の経験から出発する取組でした。八〇〇件の事例が寄せられました。続いて「障がい者差別をなくすための研究会」や、大小さまざまなタウンミーティングが開かれ、議論が進められました。 「働きたいが仕事がない」「施設ではなくまちに住みたい」タウンミーティングでは、さまざまな障がい者がお互いに存在を知り合い、地域住民が障がい者への理解を深める場にもなりました。

「条約の批准と地域での条例作りで法律制定を挟み撃ちにする」―東弁護士の戦略です。障がい者差別禁止法は、たんに障害当事者だけの権利保護にとどまりません。何が差別か?という基準を作り、「合理的配慮義務」という概念を社会に浸透させることで、政府・自治体・社会の側の責任を明らかにして、あらゆる差別を許さない社会全体の底上げにつながります。

(2007/02/20)



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