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韓国・障害者差別禁止法とは?

 全50条からなり、雇用や教育、参政権など幅広い分野で障がい者の差別を禁止。違反行為が悪質な場合は懲役三年以下の刑事罰も科せられる。
 「障がいに基く差別」の範囲がかなり広く、不利益取り扱い、間接差別、合理的配慮の拒否、不利な待遇を表示・助長する広告なども差別と定義。
 地域での自立-どこに誰と住みどう暮すかは自分で選択する権利があり、それに必要な支援を受ける権利がある。施設での生活を押し付けられてはならない。
 教育-障がいのない生徒と同じ学校に行きすべての校内活動に参加する権利がある。
 雇用-募集・採用から配置・昇進など雇用のすべてにわたり、障がいを理由に差別してはならない。雇用者の側に、障がい者が仕事ができるよう正当な便宜をはかる義務がある。

韓国で成立した『障害者差別禁止法」
今こそ私たちの声を国会へ!

「すべての生活領域で障がいを理由とした差別を禁止し、障がいを理由に差別を受けた人の権利と利益を効果的に救済する」(同法目的)とうたう「障害者差別禁止および権利救済等に関する法律」(以後「差別禁止法」と略)が、今年三月、韓国国会で成立しました。一九七名の出席国会議員中、一人の棄権を除くほぼ全議員の賛成による成立でした。

六月初旬、障がい当事者の国会議員として差別禁止法成立のために尽力した張香淑さんが来日し、成立過程の生々しい様子などを報告されました。

九月には、DPI世界会議がソウルで開催されます。「障害者権利条約」が国連で採択されたことは、まねき猫通信(五四・五九ひきめ)でもお知らせしましたが、条約の目的を実現するため国内法をどう整備するのか世界の場で話し合います。条約批准と差別禁止法成立が日本でも必要です。一歩も二歩も先を行く韓国の取り組みをお聞きしました。(編集部)

個性ある諸団体の広範な連帯

「差別禁止法は、七年間に渡るデモ・座り込み・ハンストを続けてきた成果なのです」。張さんは、ねばり強い運動の継続こそが同法成立の原動力であり、意見に違いのあるたくさんの運動団体が差別禁止法を作るという点で一致し、広範な声を一つにすることで国会を動かすことができたと言います。

張さんが国会議員なったのは「女性の人権も含めて差別禁止法を作りたい」との思いから。家父長制(年長の男性の発言力が強く、女性や子どもが従わされる傾向)の強い韓国において女性条項は是非とも必要で、張さんは大きな期待を背負って法律成立に尽力し、同法は障がい女性、障がい児童、精神障がい者に特に条項を設けて配慮を示す内容となっています。

社会から期待されることのなかった「女で重度の障がい者」であり、最も疎外されてきた立場から、張さんは同じ思いをもつ人たちの言いたいことを社会に向けて主張してきました。学歴もお金もなく政治的な後ろ盾がなくても、二〇〇四年に国会議員に当選したのは、韓国社会で抑えられてきた女性や障がい者、みんなの共感と支持を得られたからです。「障がい者運動の大きな流れの中に女性障がい者の位置を埋め込み、女性運動の中に障がい者運動を位置づけた」と運動全体に力を与えることができたと考えています。

韓国社会で差別禁止法を作るのはとても大変なことでした。最初は当事者団体が中心になって法案を作り、民主労働党を通して提案されました。しかし、民主労働党は国会で一〇人しか議員がおらず、与党であるウリ党や巨大野党のハンナラ党を動かす力はありませんでした。張さんはウリ党所属のため対立案を出すこともできません。提案から一年半経っても国会での審議は全く進みませんでした。

成立への着地点を目指して

「運動の大きな理想と現実の水準を共有することがまず必要でした」。国会内で活動する張さんと民間団体である「障害者差別禁止法制定推進連帯会議」が、真剣に話し合いを始めたのは、同法が廃案の瀬戸際に立たされたからです。経済界は、同法が通ったら負担が大きくなると反対しました。

「理想的な草案に固執して廃案にするのか? 自分が協議に入って現実的に突破できるところで法案成立を勝ち取るのか?」と張さんは連帯会議に迫り、譲れない線はどこで、どうすれば政府を説得できるのか?を確認しながら、着地点を探す作業に共に踏み出したのです。

「信頼関係を作り上げていく。これがすべてです」―張さんは、運動の理想を当事者団体と共有できたことがスタートだったと振り返ります。

張さんは所属するウリ党に対しては「この法律は必ず作らないといけない」と強く主張し、行政への説得を始めます。各省庁との調整も行い、徐々に具体的なしくみの案が作られると共に、政府・政党関係者の理解も広がっていったそうです。こうした熱意が功を奏し、政策委員長が省庁の関係者を呼んで会議が開かれ、マスコミも注目しました。

あらゆる手段で国会に入り込め

国会での成立にもドラマがありました。各方面とのぎりぎりの調整にようやく目処が立ち、いよいよ「明日、本会議で採決」という段階までこぎ着けたにもかかわらず、別の案件での与野党の駆け引きのために予定されていた本会議が開かれないという事態に陥ります。

「このチャンスを逃したら、廃案になるかも」との強い危機感を抱いた張さんは、連帯会議活動家に片っ端から電話したそうです。「あらゆる手段で国会に入り込め!」そして「本会議を開かせろ!」。

国会内に車イスが溢れ、ウリ党・ハンナラ党本部前にも当事者が駆けつけ、本会議開催を強く求めました。これをマスコミが報道し、真夜中の午前三時、ついにハンナラ党が本会議開催に同意。法案成立が確実となったそうです。

「こうして七年間にわたる大調整の役割が終わったのです」張さんは、感慨深く当時の様子を語ってくれました。

日本でも差別禁止法

「思いがあればいつか実現できる」「韓国でできたことが、日本でできないことはない」。張さんの報告を聞いて金ジョンオクさんは、「大きな希望が見えた」と語っています。昨年千葉県で差別禁止条例が作られ、「合理的配慮」という新しい概念が条例の考え方に導入されました。金さんは、条例制定の過程で、障がい当事者が具体的な差別の現実を出し合うことの積み重ねのなかで「何が差別か?」という基準を作り上げていったことを高く評価し、当事者の声を政治に反映させる重要性を訴えました。

金ジョンオクさんは、在日韓国人二世。本名で国籍を取得し、障がい当事者として参院選に立候補を予定しています。「地を這う思いで作ってきた福祉制度が、どんどん崩されています。この『悔しさ』を国政にぶつけたい」。立候補への決意をこう語り、張さんと力強い握手を交わしました。

(2007/07/04)



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