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神奈川の報告をする堀勇樹さんら

清村健人君と入部さん

特集:みんなと一緒に高校へ 2

受験の壁超え、地域の普通高校へ

今年も受験シーズンになりました。高校進学率が97%を越えるなか、知的障がいをもつ中学生の多くが、受験の壁に阻まれて地域での高校生活から排除されています。「点数が取れなくても高校へ」という願いのもと、活動している「障がいのある子どもの教育を考える北摂連絡会」の取り組みや神奈川の報告などを紹介します。(編集部)

「何で普通のクラスに行かれへんの?」

2人の中学3年生が吹田高校へ行きたいと強く願っています。Kさんは肢体不自由児学級のある小学校を卒業の時も養護学校ではなく近くの中学校を強く希望。「熱があっても行くと言って聞かないくらい」(母)学校が大好きになったそうです。

Sさんは発達障がいのため学習に遅れがあり、支援学級に在籍しています。「もっと勉強がわかるお薬ある?」と言われた時お母さんはハッとしたそうです。今の自分に疑問をもち本人なりに苦しんでいると知りました。普通になりたい、いつもみんなと同じ場所にいたい、という気持ちが強いのです。Sさんは学校が大好きで友だちが大好きで、顔見知りの多い吹田高校で先輩達とまた一緒にテニスがしたいのです。

それぞれにいくつかの学校へ見学に行ったりして、障がい者ばかりの支援学校や特別コースでなく他の子たちと近くの普通高校へ行きたいという一番の希望をはっきりさせています。

知的障がいがあるので普段から、わかりやすく教えてもらって勉強しています。わかりやすい説明があれば答えられるかもしれませんが、高校入試の問題は難しすぎて、何をどう答えれば良いか、ほとんどわかりません。障がいのために答えられないテストの点数だけで不合格になるのは選抜制度というしくみが問題ではないでしょうか。

知的障がいのために、どんなにがんばってもできないテストだけで 同じように合否を決めることが「公平」でしょうか?テストで決まる0点から100点の間より、普通の学校で学ぶかどうかの違いの方がはるかに大きな開きがあるのです。

自分がなぜ吹田高校に行きたいか、これまでどんな勉強や活動をしてきて、高校生になったら何をがんばろうと思っているか、などをきちんと高校の先生にも見てもらって適否を決めてもらいたい、テストの点だけでなくもっと人間として見てもらいたい、と中学校や高校にはたらきかけをしています。

大阪と神奈川の状況

昨年12月の「第6回北摂障がいのある子どもの高校進学を考える学習会」では、神奈川で『障がい児』の高校入学にとりくまれてきた方々を招き、進路相談会も含め活発な議論が交わされました。

大阪では、義務教育段階では「共に学び、共に生きる」が進んでいるものの、高校入学の壁はまだまだ厚いのが現状です。特に知的障がいのある生徒は、障がいゆえに努力しても点数がとれないのに、「点数」を理由に門を閉ざされてきました。

定員割れを狙わなければ難しい状況です。3年前に知的障がい生徒自立支援コースが設けられましたが、設置校・募集人数が少なく、非常に狭き門になっています。また「分けている」点で、真のインクルーシヴとはいえません。

神奈川はどうでしょうか?

「障がいゆえの不利益を被らない、障がいに対する差別は許さない、安心して受験できる体制を保証する」―神奈川県教育委員会の基本方針です。「入学者選抜制度の弾力的運用によって、障がいのある生徒を可能な限り受け入れる」と表明しています。

「神奈川『障がい児』の高校入学を実現する会」は88年に結成。障がいをもつ生徒の受験をめぐって本人、親、教師、中学校、高校、教育委員会との間でいろいろなとりくみが重ねられてきました。

90年には、知的障がいの受験生に対する配慮として、「申請書」に加え「添付書類」提出が認められ、、定員内不合格はなくなります。申請書を提出すると、文字拡大・ルビ付の特別の問題用紙や代読・代筆・別室受験などの配慮を受けることができます。また添付書類は、学習意欲・目的意識・希望等を積極的に評価するもので、高校の校長先生が「障がいのある生徒を幅広く積極的に受け入れるための」判断材料となります。

定員オーバー校での合格

1997年、河野紹さんは、9年目の受験で希望する平塚農業高校に入学しました。この学校に入りたい、今年こそは合格を、と県教委や高校とのやりとりを続け、ねばり強く受験し続けてきた結果です。

「たった3年間の高校生活だが、小・中学校とはまったく違った大事な3年間だ。自分の将来や、やりたい事なども現実味が出てくる。この時を共に過ごさなくて、『共に生きる』などとは言えない」。河野さん(母)の文章には、入試の厚い壁に阻まれながらも「みんなと一緒に高校に行きたい」と願っている人たちの共通の思いが、凝縮されています。

堀勇樹さんは、中学の友達が一番多い新羽高校を受験し、後期で「普通科合格」。3年間の高校生活を送り、インターンシップで就労実習も行いました。「勇樹にとっての合格は同時に、前年の受験生とそれを支え続けた『実現する会』に対しての、新羽高校からの新たな前向きのメッセージだった」と母・あつ子さんは、振り返ります。

勇樹さんのクラスは担任+副担任2人という体制となり、校内に「サポート委員会」が作られました。手探りながら「卒業まで責任をもって見ていきたい」という校長の意気込みを感じるものだったといいます。昨年も知的障がいをもつ斉藤麻美さんが、1・92倍の全日制普通科・県立新羽高校に合格しています。

大阪では定員割れしなければ合格は難しいのに、神奈川では、定員オーバーで毎年、全く点数のとれない生徒が普通高校に入っています。全国的にみても画期的なことです。

「高校で演劇をやりたい」

吹田第2中学に在籍する清村健人さんは、吹田高校普通科を受験する予定です。一番近くて通いやすいというだけでなく、中学校の演劇部で活動してきた清村さんは、障がい者の劇団である「態変」の公演も見に行って、演劇部のある吹田高校がいいと決めました。中学校の演劇部では、初めは声だけの出演だった清村さんも、他の部員といっしょにいる中で、だんだん出番を増やせるようになり、清村さんも一員として演じられる脚本・舞台を皆で創りあげてきました。

自立支援コースのある柴島高校も見学に行き、高校の生徒たちが自然にあいさつし声をかけてくれる雰囲気を味わって、お母さんはこの学校ええやん、とすすめましたが、清村さんは、確かにいいけど、吹田高校がこういう風になった方がいいから自分は吹田高校に行きたいんやという意思表示をされました。

母親の順子さんも、「健人がはっきり意思表示してくれたので、親として何をすべきか考えることができた」といいます。「自分で選んで、そこで楽しめることが生きるということ。健人の生きる可能性を広げて欲しい」と願っています。

新羽高校を卒業した堀勇樹さんの母・あつ子さんは、次のようなメッセージを送っています。「高校生活は、手に入れてみれば、それはあたりまえの日々ですが、勇樹の高校生活は本当にすばらしい3年間でした。特別な道を行くのではなく、友達と一緒に高校生になる道を選択する仲間が、これからもどんどん増えて欲しい思います」。

「選抜制」によって排除され、定員割れでも落とされ続けてきた「障がい児」が厚い壁をたたき続けています。

(2009/02/07)



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