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「ちがうことこそええこっちゃB」 -牧口一二

見つけ出したい豊かな「マイナスの価値」

自分が障がい者だということを忘れていないか」―デザイン会社でいっしょに仕事をする友人の言葉でした。ショックを受けた牧口さんですが、自身の足元を見つめ直し、大きな壁を乗り越えるきっかけとなりました。

デザイナーとしてようやく一人前になったと思えたころ、牧口さんは初めて障がい者のグループと出会います。その時に牧口さんは、自分自身の弱さや情けなさに気づきました。その後、「青い芝の会」と出会った牧口さんは、「親は敵だ」「愛と正義を否定する」という青い芝の言葉に触れ、体が震えるほどの衝撃と感動を受けました。

3回にわたってお届けの牧口一二さんインタビューでは、牧口さんの運動にかかわるきっかけや物の考え方の原点をお聞きしてきました。最終回の今回は「これからやりたいこと」です。
 (文責・編集部)

青い芝の会

青い芝の会の主張と出会った同じころに、同会に賛同する河野秀忠さんと出会いました。この河野さんと、彼らに対立するグループとを呼んで議論しようという企画があったんです。その時、行司役だったぼくが、タクシーに乗車拒否されたエピソードを持ち出したんです。すると対立派が「それは、運転手の給料が安すぎるからだ、給料を保障したらなくなる」、と言い出したんです。ぼくはうそだと思いました。「運転手の給料がよくなったら、余計にぼくら障がい者には見向きもしなくなる」と反論し、河野さんも賛同したんです。その帰りに河野さんと喫茶店に寄って、話が盛り上がり、長いつき合いが始まりました。

こんちくしょう

「愛と正義を否定する」とか「親は敵だ」いう激しい言葉とは、まだ折り合いはついていません。と言うより、つけたくない。もっともらしい言葉で解釈したくないというのが、ぼくの今の気持ちです。「あんな美しい言葉が世の中にあったのか」と思うほど感動したんですが、どの部分が美しいと思ったかというのは、自分でもまだ解釈できないんです。ただあのとき体が震えたのだけは事実ですから、それまでぼくが背負ってきたものがあるとしたら、その「障がい者性」が震わせたんじゃないかな、と思っています。

脳性マヒ者は「ものを考えられない人たち」という、すごい誤解の中で生きてきました。言語障がいもあって、話すタイミングを失ってる場合もかなりあるのですが、言いたいことを言えないで終わると、逆に頭の中で熟考してしまうようなこともあるんです。体中が誤解されて生きてきた、そのやるせなさというか「こんちくしょう」という思いが相当あるんだろうと思います。

その悔しさと、ぼくが足が動かないことで感じてきた「こんちくしょう」とは、どこかでつながっていると思うのです。この「こんちくしょう」は、今の若い障がい者は持つ機会が少ないと思うんです。だって、「こんちくしょう」と思うほど悔しいことがないのですから。昔は我慢することが自然だった。その我慢の中で「こんちくしょう」を育ててもらったんです。

(2009/09/28)

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