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▲福永年久さん(左)と入部香代子さん(右)

▲テント村「らくだはらくか?」のティピテントの前で記念撮影。前列の左から3人目が福永さん(95年秋)

特集:震災から15年 -助け合いながら生きる地域を

はじめに

1995年1月17日に起こった阪神淡路大震災から15年目を迎えようとしています。大震災で障がい者は、情報が行き届かず、何が起こっているのかもわからないまま、無茶苦茶になっや自室で怯えていました。車イスでの避難所生活も困難を極め、あらためて日本社会のバリアの多さを際だたせました。

そんな中、救援を待つのではなく、自ら救援組織を立ち上げ、ボランティアを集め、避難所の運営から、テント村の建設、さらに、仮設住宅引越しボランティアまで行った障がい当事者がいます。福永年久さんです。

福永さんは、被災地障害者センターを仲間と共に設立し、過労による脳梗塞で倒れるまで救援ボランティア活動の一角を担いました。脳梗塞の後遺症を抱えながら、現在も「障害者問題を考える兵庫県連絡会議」代表などで活躍中です。入部香代子が聞き手です。(文責・編集部)

震災救援活動へ

入部(編集部):震災に遭った当時のことを話して下さい。

福永:地震ではベッドごと放り投げられ、衝撃で熱帯魚の水槽が割れて大量の水をかぶった。けど、怪我もなくて助かった。

介護者がおらんで良かった。部屋の中は、家具が倒れてぐちゃぐちゃやったから、介護者が居ったら下敷きになって死んどったやろな。

けど15分後には、近くに下宿しとった介護の学生が様子を見に来てくれたんや。そいつのアパートも家具が倒れたらしいけど、真っ先に来てくれたんや。それで、一緒にメンバー13人の安否確認のために西宮市内を回ることにした。仲間の三矢英子さんが、壊れた家の下敷きになって死んでた。道中で職員に会って聞いたら、メンバー9人は平木中学、2人は警察署、1人は実家に居ることがわかった。

入部:怖かったでしょう?

福永:最初は、爆発物かと思った。悪いことばっかりやっとったからな。ハハハ。地震の情報が欲しかったから警察に行ったけど、連中、何も知らんかった。3日間、警察に泊り込んで、三矢さんを掘り出すように頼んだけどダメやった。

3日目に避難所に行くように言われて、西宮総合教育センターに移動した。受付で職員が「2階の部屋に行け」って言う。こっちは電動車イスや。エレベーターもないし、行けるわけがない。喧嘩して1階の部屋を確保した。30人位が泊まれる大部屋を片づけて、救援活動の拠点にすることに決めた。

まず駅前に「ボランティア募集」のポスターを貼ったら、毎日20〜30人位の若者が集まるようになった。

入部:救援活動をやろうと思ったきっかけは何ですか?

福永:トイレに行きたくなって近くの公民館に行ったら、婆さんがダンボールハウスに、握り飯を握って座りこんどった。俺たちと同じように家をなくして、食うものなく、途方に暮れている人がおったんや。この婆さんが、他の仲間の姿と重なった。

「神戸の街自体が障がい者。ずっと障がい者やってきた俺らこそが、こんな時に動かなアカン」と思って、避難所めぐりから始めた。何が必要か?知るためや。障がい者の避難生活も、知りたかったしな。

水が足らんことがわかったから、水の出る所を探して、避難所まで運ぶことにした。数百人分の飲み水を10リットル入りのタンクで運ぶんやからものすごく手間がかかった。

次にやったのが炊き出しや。1回目は2000人分で16万円かかった。金は、ボランティアの中に市職労員がおって、立て替えてもらうことにした。

こんなことをやってるうちに、避難所は俺が居らんでも運営できるようになったし、とにかく金が必要やと思ったから、現場はボランティアに任して、金を集めることにした。

全国各地から講演の依頼があった。北は仙台・東京・横浜、南は福岡まで、主な都市は全部回ったと思う。被災地、特に障がい者の現状を伝えて、救援を訴えた。1年あまりで1億円が集まった。長年やってきた「阪神障害者解放センター」を義援金の受け皿にして振り込んでもらったり、各地の障がい者団体など、40団体位のネットワークもでき、協力してもらった。

こうしたネットワークの広がりは、後でテント村を建設する時に大いに役に立ったな。

テント村

福永:5月に避難所が閉鎖されることになって、「他の避難所に移れ」と言われたんや。でも、障がい者が生活できる避難所は西宮にはなかった。

行政は邪魔はしても、協力は全くなかったな。炊き出しをするから材料を要求してもダメ。「避難所を出ろと言うなら、移転先を見つけろ」と言っても黙り込んだままやった。

自分らでやらなしゃぁない。テント村を建てることを決めて、土地を探してたら神戸の坊さんが門戸厄神さんの神主を紹介してくれた。状況や目的を説明して、200坪ほどの駐車場を貸してもらうことなってホッとしたな。そこに、テント村を作った。カナダからもらったティピ(アメリカ先住民のテント)3基を中心に、アルジェリアからの救援物資である10坪ほどもある大きなテント(神戸のボランティア組織を通して送られてきた)、モンゴルのテントである「ゲル」が2張。これに宿泊所として2棟のプレハブ住宅を加えて、インターナショナルなテント村「らくだはらくか?」が完成した。

ガスも水道もなく、水ももらい水やし、トイレも仮設で不便やったけど、大きめのティピテントの中は、電話・FAX・コンピュータと拠点機能を果たすための立派な事務所ができた。

(2010/01/05)

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