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地域で生きるために普通高校へ

学校は社会の縮図

今年の受験でダウン症の新家陵平さん(17才)が、吹田高校に合格し、新たな高校生活をスタートさせました。昨年、現役受験で不合格となりましたが、「中学校時代の友達も多く、自宅に近い吹田高校へ」と、1年間通った吹田支援学校をやめての再チャレンジでした。

入学からまだ3ヵ月で、「大勢の中に入るのが苦手」な陵平さんは、ようやく新しい環境に馴染んできたという段階ですが、学習面では、各教科教師と専任教師とのチーム・ティーチングの支援も受け、放課後には吹奏楽部に足を運ぶなど、高校生活の基盤を作りつつあります。

入学からまだ3ヵ月で、「大勢の中に入るのが苦手」な陵平さんは、ようやく新しい環境に馴染んできたという段階ですが、学習面では、各教科教師と専任教師とのチーム・ティーチングの支援も受け、放課後には吹奏楽部に足を運ぶなど、高校生活の基盤を作りつつあります。  「すいた『障がい』児・者の高校進学を考える会」の中心で頑張ってこられたご両親や、吹田高校村田徹校長に、受入れ体制、学校での様子などをお聞きしました。(編集部)

支援学校を辞めて再受験

小さい時から地域の保育園・小学校・中学校に通ってきた陵平さんにとって、中学校卒業後は、通学途中にある吹田高校に行くのが、ごく自然なことでした。同じダウン症である兄の時は、一般校受験の道があることも知らず、高校進学は支援学校(当時の養護学校)しかないと思っていたのと、大阪府で知的障がい生徒のための自立支援コースが制度化されたため、自宅から通いやすい柴島高校の受験を決め、それと並行して支援学校へも出願。結局、柴島高校は不合格となり、支援学校への進学が決まりました。

こうした兄の進路決定の経験のなかで、一般校受験も可能であることがわかり、陵平さんの進路選択を前にして母親である寿賀子さんが「卒業したらどうするの?」と聞くと、陵平さんは迷わず「吹田高校に行くんやろ」と言ったそうです。

しかし寿賀子さんは、「正直、困った」と言います。様々な受験の配慮を受けたとしても、今の学力選抜制度でダウン症の陵平くんが合格することは、「奇跡に近い」からです。それでも陵平さんの意思を尊重して吹田高校を受験しましたが、やはり不合格。 吹田支援学校高等部への入学となりました。

「楽しくなさそうだった」と寿賀子さんは、支援学校当時の陵平さんを振り返ります。吹田支援学校は、主に知的障がい生徒が集まる学校です。2010年に鳥飼分校が設置され、軽度の知的障がい者を対象に卒業後の就労を視野に入れたカリキュラムも組まれています。

しかし、陵平さんにとっては「想像と違っていたのではないか」と寿賀子さんは想像しています。中学校までみんなと普通の学級で学んできた陵平さんにとって支援学校は、(障がい者に)「偏っている」と感じたとしても不思議ではありません。昨年月になって、「普通高校を再度受験する」との決意を固め、年が明け受験が近づくにつれ、不合格の場合でも支援学校には戻らず、一般の定時制高校に行くという進路を決定。願書提出のギリギリまで情勢を見極めた上で、吹田高校を受験。合格しました。

手を放しても目は離さない

生徒数868人の吹田高校(村田徹校長)には、現在、2名の障がいをもつ生徒が通っています。入学後の事故で下半身麻痺となった2年生男子生徒と新家さんです。定時制があった頃は、障がい生徒も通っていたそうですが、定時制がなくなって以降で知的障がい生徒の受け入れは初めてだそうです。

学校側は、まず状況把握から始めました。本人・両親との面談に加えて、中学校とも連絡を取り、学校生活の様子や支援体制などについて情報交換をしました。また、高校内に、校長・学年主任などで構成される「特別委員会」を新たに設置し、受け入れ体制の決定や入学後の対応について協議しながら進めていく体制が作られています。

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