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沖縄の怒り、本土の新聞は伝えたか─石塚直人

記事にならなかった52万人の要望

一時は絶頂とも見えた安倍政権の瓦解は早かった。その未熟さは今更述べるまでもない。代わって登場した福田政権は、参院で多数を占める民主党相手に「低姿勢」を通している。政府与党が数に任せて暴走するよりもずっと健全で、民主主義的と言えるだろう。

小泉政権以来の政治や社会のゆがみを、この際少しでも修正しておかねばならない。そんな思いでいた九月二九日、沖縄戦の「集団自決」について文部科学省が高校日本史教科書を書き換えさせた検定意見の撤回を求める沖縄県民大会のニュースが飛び込んできた。その後、政府内に検定見直しの動きが出てきたことは本当にうれしい。

三〇日の朝刊を見て驚いた。朝日や毎日が一面トップにしたのはともかく、こうした運動には比較的冷淡な読売まで、社会面に大きく写真と記事を載せていたからだ。超党派の一一万人、県民の一割が宜野湾市の会場に足を運んだ重みがそこには感じられた。

多くの新聞社は、自社の記事をデータベース化し、パソコンで検索できるようにしている。西部本社の紙面を調べると、読売も東京や大阪とは違って、一面に「大会が開かれた」という本記、社会面に「沖縄県民の一割が撤回を求めて結集した――。」に始まる雑観(サイド)記事をそれぞれトップで入れていた。

雑観記事の生命は、生身の登場人物の性格や談話である。演壇に上った高校生代表の「悲劇を体験したおじい、おばあがウソをついていると(文科省は)言いたいのか」、これまで自分の体験を語らずにきた渡嘉敷村教育委員長の「このままでは子や孫の代が危ない」発言は、それだけで圧倒的な説得力があった。

11万人の重み、政府も新聞社も動かす

とはいえ、本土の多くの読者にとって、この日の一一万人は唐突に感じられはしなかったか。そこまで沖縄の怒りは大きかった、過去の運動の積み上げなしに突然これだけの人数が集まったわけではない、ときちんと理解されただろうか。

三月に検定結果が報じられて以来、沖縄では県議会と四一市町村議会のすべてが撤回を求める意見書を採択、副知事らが上京して陳情を繰り返してきた。しかし、それらのニュースが東京、大阪発の紙面で厚遇されたとは言いがたい。

私は九月一四日の泊まり勤務で、西部本社発の一〇行ほどの短い記事に接し、電光ニュースを作った。五〇字では「日本史教科書『集団自決』修正問題で、沖縄県教組などが文科省に署名を提出。五二万人が修正撤回を要望。」。翌日の東京、大阪紙面にはなかった。阪神タイガースの藤川投手が中日戦で打たれ、六月以来の黒星がついた夜のことである。

(2007/11/14)



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