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当事者リレーエッセイ:原田医師と水俣病 村上博

行動する医師

水俣病の患者さんたちと半世紀を共に歩まれた医師・原田正純さんが6月11日、77歳の生涯を終えられた。直接お話しさせて頂いたのは2度ほどだったが、医者の権威・傲慢さをまったく感じさせない気さくな人柄・話し方に、正直驚いた。

水俣病訴訟や国・県の対応などがニュースになるとき、必ずと言ってよいほど原田さんのコメントが取り上げられた。常に患者側に立ち、政治や行政には、ことのほか厳しく批判された。そして、その矛先は政治や行政だけでなく、水俣病から何を学ぶべきか?を私たち一人ひとり、社会全体に問いかけられていた。そのぶれない姿勢は生涯を貫いていた。

そんな原田さんへの一方的な親しみを感じてきた私たち夫婦は、お別れ会に参加した。

ブラジルやカナダ先住民が被った水銀汚染が及ぼした健康被害の調査など、原田さんの活動は、国内にとどまらず、実に多方面に渡っている。こうした数々の活動の様子が思い出の品々とともに、展示されていた。いずれも現場に出かけ、被害を受けている住民たちから生活全般に渡って徹底的に聞き取り、健康面だけでなく地域全体が受けた被害の全体像を解き明かそうとする、まさに「行動するお医者さん」だった。

公害と差別

小学5・6年生の頃、「原因不明の奇病が水俣に大発症している」と報じるラジオニュースをハッキリ覚えている。マスコミは、爆弾説など行政や「専門家」の諸説を紹介しながら、様々な原因が考えられると解説し、結果的に行政と一緒になってチッソを擁護し、原因解明を遅らせた、と私は思っている。

大学のゼミで水俣病の社会的背景を調べる課題が出されたことがある。調べる中で発症当時、東京から取材に来た記者が、「チッソが垂れ流した有機水銀が原因物質だ」と主張した熊本大学の研究者に向かって、「たかが田舎大学の学者の言い分」と言い放ったという記述を見つけ、ゼミで報告したことがある。

学者の世界でも東大を中心としたピラミッドが幅を利かせていた。当時、母親の胎盤を通して有機水銀が胎児に蓄積されることは、医学界においては「非常識」だった。熊大がいち早く母親の胎盤を通した胎児性水俣病の存在を指摘していたことを小馬鹿にした先述の記者は、水俣病の真相に迫る以前に弱い立場の人たちの痛みが分からない権力構造の中にどっぷり漬かっていたのだろう。

原田さんは生前「水俣病が差別を生んだのではなく、差別されている地域、差別されている人たちに公害が押しつけられた」と語っている。とても印象深い言葉だ。その後の公害、福島原発事故などを考えると図星の感じがする。

心からご冥福をお祈りしたい。

合掌。

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