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特集:原発事故をしっかり教訓化する 原発やめて、核のゴミ増やすのもうやめよう
福島県田村市 ケアステーションゆうとぴあ 理事長 鈴木絹江さん

福島県在住の鈴木絹江さんによる講演『障がいをもつ人の避難や防災の在り方』の後半『原発事故・放射能のとらえ方と防御』です。鈴木さんは1990年代から、「障がい者自立生活支援センター」を発足させるなどの活動を展開。海外での研修や視察などを重ね、01年には、「ケアステーションゆうとぴあ」を設立し理事長に就任しました。

11年3月には、福島第一原発から約40キロの田村市で、震災と原発事故を経験。すぐに職員を集めて避難の準備を始めました。避難先の条件は、@冷暖房完備で、A温かい食事が提供され、B軽い運動もできることで、ホテルなどを探しました。障がいをもつ人が体育館などに避難すると、必ず体調を崩すからです。避難計画についても、支援者が助けにいけないことを想定した、しっかりした計画と訓練が重要だ、と語っています。

後半で鈴木さんは、終息にはほど遠い事故原発の現状と放射能の恐ろしさを語り、未来世代への責任という重い課題へも向き合おうとしています。(文責・編集部)

フクシマ=避難への非難

「避難」はとても重要です。宮城県釜石市の小学校は「奇跡の避難を遂げた」と賞賛されました。三陸沖は、地震と津波の常襲地域なので防災教育には取り組まれてきた地域ですが、慣れっこになり、津波警報が発令されても逃げない人たちが沢山いたそうです。「これを何とかしなければならない」と、小中学生を対象に10年間、津波防災教育に力を入れてきました。

まず子どもたちには、「安全バイアス」について教えました。「逃げなければならない」とわかっていても、「自分の場所は大丈夫だ」「大騒ぎして避難するのは恥ずかしいんじゃないか」と思ってしまう心理です。

災害心理の研究でも、最初の危険情報は無視する傾向があるそうです。この「安全バイアス」を取り払うことが大事なので、子どもたちには、「中学生は助けられる方じゃなくて、助ける方だよ」と教えて、率先避難者になるよう教育したそうです。

この教育を受けた人たちの学校は、98%の子どもたちが助かりました。残りの2%は、この日学校を休んだ子たちでした。中学生たちが「津波が来るぞ、津波がくるぞ」と小学校の前を通り、老人ホームなど高齢者の施設を通り、保育所の子どもたちを助けながら避難所に行ったことによって、皆が助かり、「奇跡の避難」と賞賛されるようになりました。

ところが福島では、原発事故で避難をした人たちに対し「故郷を捨てて逃げた」「非国民」だと非難する状況が続いています。

放射能は、眼にも見えなければ、ニオイも味もしないので、「何もないと思えば何もない」のです。ところがガイガーカウンターで測定すれば、大変な放射能が舞い散っているのです。にも関わらず遠くに逃げた人たちが、非難されるという逆転した状況が生み出されています。

チェルノブイリ原発事故の時、日本政府は監視体制を強め、規制を厳しくして、放射能防御を奨励したにも関わらず、今回の事故では、逆に基準を緩めてしまいました。年間1_Svが、法律で決められた基準なのに、20_Svまで引き上げて、帰還を促す福島の現実があります。

原発事故の防災とは、廃炉しかないと私は思っています。福島県では津波で亡くなった方が、約2千人ですが、原発事故がなければ、もっと助かった人がいたはずです。原発に隣接する浪江町には、津波に流されて屋根の上に逃げたり、家の2階で助かった人はいたのですが、原発が爆発したために消防署も自衛隊も警察も入れなくて、見殺しにされました。

新聞には病死と発表されていますが、餓死者も出たそうです。老夫婦の家族で1階でおばあちゃんが津波にあい、寝たきりのおじいちゃんは2階で寝てて、津波に襲われなかったけれども、面倒見てくれる人が誰もいなかったので、亡くなったそうです。

自殺者もたくさん出ています。「私はお墓に避難します」と言って自殺したおばあちゃんがいました。「俺がいたんでは、お前たち避難できないだろう」と言って、いっちょうらの服を着て自殺をはかった102歳のおじいさんもいました。「孫と別れて暮らすのはとても辛い」といって自殺した方もいます。こういう自殺者を出してはならないというのが、今回の課題ではないかと思います。

原発事故の避難の移動中や、その直後に亡くなった高齢者や病人もたくさんいました。こうした関連死を含めると、どれだけの方が亡くなったのか? わからないところが、原発事故の怖いところです。

福島原発事故は何も終わっていない

福島原発からは、今も毎時24億ベクレルの放射能が放出され続けています。止まった原発は冷やし続けなければなりませんが、冷却のための電気の配電盤がねずみにかじられて、4時間程止まってしまうことも起きています。冷却も不安定で、危うい状態が続いています。

4号機の使用済核燃料プールの中には、1500本の燃料棒が入っているのですが、宙づりのような燃料プールが新たな地震で崩落してしまうのではないかと心配しています。

1号2号3号機は、放射能が高くて人が近寄ることすらできません。2号機は73Sv/時で、近づいた人は100%死んでしまうほどの放射線です。2号機に人が近寄れるようになるには300年かかるそうです。

100Bq/s以下の食べものは、市場に出回っています。3月11日以前のお米は0・024Bq/sの放射能しかなかったそうですから、基準を4200倍に引き上げたことになります。

年間被曝量も1_Svだったのですが、福島では20_Svに引き上げられました。原発労働者は、5_Sv浴びれば労災が認められるのに福島県では、子どもも大人も20_Svまで我慢して「自分の地域に戻ってください」と、避難区域を解除しています。そして賠償金や保証金を削ってきています。

福島県は子どもの被曝について、検査はするが治療はしないという「緩慢なる殺人」を行っているのではないのかと、強く憤っています。

原発で生み出される核廃棄物=死の灰は、猛烈な放射能を放出しています。プルトニウム239は角砂糖5個分で、70億人、全世界の人を殺すだけの猛毒だそうです。福島原発にはトンの単位で生み出され貯蔵されています。想像もできない程の状況です。

福島県はこれからどうなっていくのか? とても心配です。「核と人類は共存できない」ことを、私たちはきちんと学ばなければならないですし、都会の人たちは、田舎の犠牲と差別と搾取の上に成り立った便利さを甘受していることを知って欲しいと思います。

自分たちの生活を振り返って、「本当にこの電気は必要なのか?」、「このエネルギーはこの形でいいのか?」ということをひとりひとりが、点検しなければならないと思っています。

「世界全体が幸せにならなければ、個人の幸せはあり得ない」という言葉を信じて、私は障がいを持つ人の支援をしてきました。

百年先の福島を、緑豊かな地域として未来に残したいと思っています。そのためには、私たちの生活やエネルギーの問題やゴミの問題について、「本当にこれでいいのか?」を、考えることが重要です。

国に対しても、「私たちは原発依存社会を望んでいない、自然豊かな社会を望んでいる」とはっきり言っていくことです。私は今、電気料を1ヶ月3千円以内に抑えるように努力しています。なるべく電気を使わず、湯たんぽを使ったりしています。

それから電気料金の自動振込みを止めて、「廃炉費用のために使ってください」とメッセージを付けて1円を過払いにしています。東北電力にも原発を止めるようお願いしています。

私たちは今回の災害で、人災も天災も、立場の弱い人や貧しい人が犠牲になってることを知りました。とても悲しいことが起きてしまいましたが、ひとりの力、人の力でもできることが沢山あると思います。ひとりひとりが自分の頭で考えて社会を変えていくひとりになってほしいと思います。

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