8ぴきめ(2002年12月)
特集・映画と障がい者〜スクリーンの内と外


インタビュー

「さようならCP(シーピー)」が()いかけたもの

(はら) 一男(かずお)映画(えいが)「さようならCP(シーピー)監督(かんとく)


日本(にほん)脳性(のうせい)マヒ(まひ)(しゃ)協会(きょうかい)(あお)(しば)(かい)神奈川(かながわ)(けん)連合会(れんごうかい)メンバー(めんばー)()ったドキュメンタリー(どきゅめんたりー)映画(えいが)「さようならCP(シーピー)」(1972(ねん))は、当時(とうじ)各地(かくち)上映(じょうえい)運動(うんどう)(おこ)なわれ、障害(しょうがい)当事者(とうじしゃ)運動(うんどう)()()がるひとつのきっかけをつくりました。監督(かんとく)(はら)さんをはじめ、かかわりのあった(かた)たちにお(はなし)をうかがいました。

CP(シーピー)脳性(のうせい)マヒ(文責(ぶんせき):編集部(へんしゅうぶ)


「さようならCP(シーピー)」の背景(はいけい) 

 (いま)(くるま)いすの(ひと)(まち)にたくさん()ていますけど、60(ねん)(だい)(まつ)から70年代(ねんだい)最初(さいしょ)、ぼくらの青春(せいしゅん)だった(ころ)って、障がい者(しょうがいしゃ)(まち)()ているという風景(ふうけい)はほとんどなかったんですよ。ぼく自身(じしん)20(はたち)のときに故郷(こきょう)山口(やまぐち)から東京(とうきょう)()()って、はじめて障がい者(しょうがいしゃ)(ひと)出会(であ)ったんですね。それから障がい者(しょうがいしゃ)世界(せかい)にのめり()んでいって、4〜5(ねん)ぐらいいろんな障がい者(しょうがいしゃ)(ひと)たちに()いに()くというようなことをやっていました。その(ころ)映画(えいが)をやりたいという1人(ひとり)人物(じんぶつ)出会(であ)って、じゃあ障がい者(しょうがいしゃ)(ひと)たちを主題(しゅだい)映画(えいが)をつくろうという(はなし)になったんです。

 それと、この映画(えいが)背景(はいけい)にはやっぱり当時(とうじ)時代(じだい)影響(えいきょう)があったわけですよ。寺山(てらやま)修司(しゅうじ)著書(ちょしょ)の『(しょ)()てよ、(まち)()よう』というフレーズは、ぼくらにとって新鮮(しんせん)刺激(しげき)がありました。もちろん全共闘(ぜんきょうとう)運動(うんどう)影響(えいきょう)がいちばん(おお)きいです。全共闘(ぜんきょうとう)運動(うんどう)のなかでぼくらが(まな)んだのは(なに)かっていうと、既成(きせい)言葉(ことば)(かんが)(かた)ではなく、自分(じぶん)(からだ)をはってつかんだものを信用(しんよう)しろということです。既成(きせい)のものは全部(ぜんぶ)(うたが)って、そして(こわ)せと。破壊(はかい)がつまりは創造(そうぞう)なんだという(かんが)えがあったんですよね。その(かんが)(かた)と、自分(じぶん)障がい者(しょうがいしゃ)(ひと)たちとつきあってきたこととがぴったり(かさ)なっていったんですよね。

 もうひとつ、当時(とうじ)アメリカで、「ブラック・イズ・ビューティフル」という、差別(さべつ)されている黒人(こくじん)という肉体(にくたい)のありようこそがとても(うつく)しいんだという衝撃的(しょうげきてき)(かんが)(かた)提出(ていしゅつ)されました。(おな)じように「障害(しょうがい)という肉体(にくたい)こそが(うつく)しい」ということが()えるのだろうか、と(かんが)えたんです。じゃあその障害(しょうがい)という肉体(にくたい)とは(なに)かを追求(ついきゅう)しようぜ、と。追求(ついきゅう)する()としては、都市(とし)という健全者(けんぜんしゃ)構築(こうちく)し、障がい者(しょうがいしゃ)排除(はいじょ)している世界(せかい)。その都市(とし)障害(しょうがい)という肉体(にくたい)(ほう)()むと、都市(とし)秩序(ちつじょ)()らぎはじめるというか、ある混沌(こんとん)とした状態(じょうたい)()まれる。そこを()きわめたい、(まる)ごと映像(えいぞう)記録(きろく)したい、というようなことをいろいろ(かんが)えたわけです。でもね、主人公(しゅじんこう)横田(よこた)(ひろし)さんに映画(えいが)をやろうよ、と口説(くど)くのには半年(はんとし)かかったんですよ。

 

視点(してん)逆転(ぎゃくてん)肉体(にくたい)をめぐる価値観(かちかん)()う 

 障がい者(しょうがいしゃ)(かれ)らを()ろうとしたときは、これからぼくたちがつくる作品(さくひん)こそが障がい者(しょうがいしゃ)(あつか)ったそれまでの作品(さくひん)全部(ぜんぶ)()()える、つまりアンチテーゼを提出(ていしゅつ)してみせる、と意気込(いきご)んでいたわけです。そこで、これまでに(なに)がいちばん()りないのかというと、障がい者(しょうがいしゃ)という(ひと)たちに()けるまなざしであり、そのまなざしの()こうにある障がい者(しょうがいしゃ)問題(もんだい)本質(ほんしつ)というのは、障害(しょうがい)という肉体(にくたい)をめぐっての価値観(かちかん)だろうと(かんが)えた。その価値観(かちかん)そのものを()わないと、あるいは(こわ)さないと、(なに)()わらないと。「人間(にんげん)として」という()(かた)ってありますよね。でもどうもその言葉(ことば)はうさんくさい。人間(にんげん)として、ではなくて障がい者(しょうがいしゃ)としてその障害(しょうがい)()()わないとダメだ、ということを一生懸命(いっしょうけんめい)(かんが)えたんですね。

 カメラは手持(ても)ちで()りました。それには、障がい者(しょうがいしゃ)である(かれ)らを()っているのは健全者(けんぜんしゃ)である(わたし)である。その(わたし)身体(しんたい)のリズムを映像(えいぞう)として(きざ)みつける、という意味(いみ)がありました。障がい者(しょうがいしゃ)健全者(けんぜんしゃ)(あいだ)には、肉体(にくたい)をめぐってある価値観(かちかん)、つまり健全者(けんぜんしゃ)という肉体(にくたい)上位(じょうい)にあるという差別(さべつ)構造(こうぞう)機能(きのう)している。それを「(おな)人間(にんげん)として」というのではなく、厳然(げんぜん)として存在(そんざい)する(かべ)をどう(こわ)していくか。つまり障がい者(しょうがいしゃ)という肉体(にくたい)(わたし)意識(いしき)をどう(こわ)してくるのか、と(かんが)えたんです。ただ、(いま)()っていることは非常(ひじょう)観念的(かんねんてき)なので、そのために、もう1人(ひとり)主人公(しゅじんこう)である横塚(よこづか)晃一(こういち)さんにカメラを()ってもらうという仕掛(しか)けをした。そしてカメラで写真(しゃしん)()っている横塚(よこづか)さんをぼくが()るという、複雑(ふくざつ)構造(こうぞう)仕掛(しか)けたんです。

 それによって、ぼくらは「視点(してん)逆転(ぎゃくてん)」というひとつのアンチテーゼを()した。横塚(よこづか)さんがカメラを()つというのはそのための戦略的(せんりゃくてき)なパフォーマンスで、フィクションなんですよ。障がい者(しょうがいしゃ)映像(えいぞう)()ればそれは障がい者(しょうがいしゃ)世界(せかい)か、というと現実(げんじつ)はそんなに(あま)くないんですね。でも、あれはフィクションだから意味(いみ)があるんですよ。

 横田(よこた)さんのほうは、おのれの身体(しんたい)をかけて、社会的(しゃかいてき)仕組(しく)まれた価値観(かちかん)付与(ふよ)された脳性(のうせい)マヒという障がい者(しょうがいしゃ)身体(しんたい)(こわ)し、横田(よこた)(ひろし)自身(じしん)身体(しんたい)出合(であ)う。そのことを観念(かんねん)としても提出(ていしゅつ)するために横塚(よこづか)さんにカメラを()って()ってもらう。そのふたつがあの映画(えいが)(かんが)(かた)骨格(こっかく)なんですね。それを()(かえ)()(かえ)しいろんな()でやろうよ、という(ねら)いでつくった映画(えいが)なんです。

 

健全者(けんぜんしゃ)幻想(げんそう)」を(こわ)作業(さぎょう) 

 障がい者(しょうがいしゃ)問題(もんだい)本質(ほんしつ)というのは、結局(けっきょく)肉体(にくたい)のランク()けですよね。それをぼくらは当時(とうじ)健全者(けんぜんしゃ)幻想(げんそう)」という言葉(ことば)()んでいました。障がい者(しょうがいしゃ)にとって健全者(けんぜんしゃ)という肉体(にくたい)自由(じゆう)なように()えて、なんとなくうらやましいものとしてある。健全者(けんぜんしゃ)であるぼくらは、なかなか自分(じぶん)(からだ)自由(じゆう)だとは(おも)わなかったりもするんだけど。

 その身体(しんたい)(かん)する幻想(げんそう)というのは、(じつ)はぼくらが白人(はくじん)黒人(こくじん)身体(しんたい)()て「いいな」と(おも)うとか、そういういろんな複雑(ふくざつ)(そう)をなして()()っているんです。それが障がい者(しょうがいしゃ)健全者(けんぜんしゃ)ということでいえば、「健全者(けんぜんしゃ)幻想(げんそう)」という価値観(かちかん)を、ぼくらも()っているし(かれ)らも()っているんですよね。だから、障がい者(しょうがいしゃ)世界(せかい)というのは、(たん)(かれ)らを()れば(かれ)らの肉体(にくたい)(きざ)()まれているというそんな生易(なまやさ)しいものではない。(かれ)自身(じしん)(みずか)らの「健全者(けんぜんしゃ)幻想(げんそう)」と()()うなかで、はじめて「()」というものを自分(じぶん)のものにできると(かんが)えたんです。

 横塚(よこづか)さんは映画(えいが)のなかで、カメラを(ひと)()けたことで「(こわ)いなあ」という(かれ)実感(じっかん)()っています。それはぼくらだってカメラを(ひと)()けるのは(こわ)い。でもその実感(じっかん)横塚(よこづか)さん自身(じしん)身体(しんたい)感覚(かんかく)ですからね。あの映画(えいが)は、あのふたりがそういう実感(じっかん)をもって自分(じぶん)身体(しんたい)獲得(かくとく)していく過程(かてい)なんです。

 横田(よこた)さんには、ダメとされている障がい者(しょうがいしゃ)肉体(にくたい)逆手(さかて)にとってなにか表現(ひょうげん)できるんじゃないかという幻想(げんそう)があった。だけど、本当(ほんとう)障害(しょうがい)という肉体(にくたい)健全者(けんぜんしゃ)(たす)けを()りなければならないんだと(おも)()らされて「(から)っぽになった」と()う。それがラストのセリフなんです。そこで(なに)(から)っぽになったかというと、自分(じぶん)(なか)(たた)()まれていた「健全者(けんぜんしゃ)幻想(げんそう)」が(こわ)されたということです。そこまで(こわ)してこそはじめて、(かれ)脳性(のうせい)マヒというおのれの身体(しんたい)()づいて、そこからもう一度(いちど)自分(じぶん)思想性(しそうせい)構築(こうちく)しなおしていく。そこからはじまるわけですよ。だから「さようならCP(シーピー)」なんですね。

 あの映画(えいが)は、健全者(けんぜんしゃ)であるぼくと障がい者(しょうがいしゃ)である(かれ)らががっぷり()つに()んで、「健全者(けんぜんしゃ)幻想(げんそう)」そのものを(こわ)していく作業(さぎょう)だった。(こわ)してこそはじめて、かれらもまた「身体(しんたい)障害(しょうがい)」というところから自由(じゆう)になるんですよね。だから映画(えいが)()わってから横田(よこた)さんは、ものすごく(あか)るくなるんですよ。それは、自分(じぶん)(たたか)って自由(じゆう)()にしたという自負(じふ)自信(じしん)があるからですよ。一方(いっぽう)映画(えいが)をつくったぼくが自由(じゆう)になったかというと、なんかいまだに()きずってるんですよね、()(がわ)というのは((わらい))。そういうもんですよ、絶対(ぜったい)(えん)じたほうが()ちですよ、ドキュメンタリーというのは。ぼくのほうはこれまで30(ねん)かけてやってきて自由(じゆう)になったかというと、どうだろう。もっと()(なか)よくわからなくて、もっと(たたか)わないとあかんぜというような(かん)じのほうがどんどん(つよ)くなるんですよね。でもしょうがないです、そういうもんです。


はら・かずお●映画(えいが)監督(かんとく)作品(さくひん)に「さようならCP(シーピー)」「極私的エ(きょくしてき)ロス・恋歌(れんか)1974」「ゆきゆきて、神軍」(しんぐん)全身(ぜんしん)小説家」(しょうせつか)


★「さようならCP(シーピー)上映(じょうえい)運動(うんどう)(おこ)なった河野(かわの)秀忠(ひでただ)さん

(「そよ(かぜ)のように(まち)()よう」編集長(へんしゅうちょう)

 

 関東(かんとう)中心(ちゅうしん)にされていた「さようならCP(シーピー)」の上映(じょうえい)運動(うんどう)関西(かんさい)でも、ということで、1972(ねん)実行(じっこう)委員会(いいんかい)をつくってはじめました。あの映画(えいが)をはじめて()たときは本当(ほんとう)衝撃(しょうげき)で、3日間(にっかん)ぐらい二日(ふつか)()状態(じょうたい)(わらい))。自分(じぶん)たちがやってきた全共闘(ぜんきょうとう)運動(うんどう)なんかは全部(ぜんぶ)能力(のうりょく)主義(しゅぎ)にもとづいているんだと(おも)()らされましたね。

 あの映画(えいが)は、健全者(けんぜんしゃ)価値観(かちかん)によってつくられてきた障がい者像(しょうがいしゃぞう)とは(ちが)うものを()()すことで、(まぎ)れもなく当時(とうじ)われわれが(しん)じて(うたが)わなかった社会(しゃかい)意識(いしき)社会(しゃかい)のありようというものを()りつけ、(すく)なくともそこに(きず)をつけた。そして関西(かんさい)では、上映(じょうえい)運動(うんどう)をはじめて4(ねん)という(みじか)(あいだ)障がい者(しょうがいしゃ)自身(じしん)組織(そしき)がつくられ運動(うんどう)(ひろ)がっていった。それが、あの映画(えいが)障がい者(しょうがいしゃ)(うち)(そと)(たい)してはたした役割(やくわり)だったと(おも)います。

 

★1973(ねん)から(あお)(しば)活動(かつどう)(つづ)けている入部(いるべ)香代子(かよこ)さん

豊中市(とよなかし)議会(ぎかい)議員(ぎいん)

 

 「さようならCP(シーピー)」に(えが)かれている差別(さべつ)(おどろ)(ひと)もいるやろうけど、(わたし)たちにとっては()たり(まえ)のことやったからね。障がい者(しょうがいしゃ)は、健全者(けんぜんしゃ)から、社会(しゃかい)仕組(しく)みから、(おびや)かされて()きている。それに(たい)して(あお)(しば)は、「障がい者(しょうがいしゃ)でいいやんか、障がい者(しょうがいしゃ)として()きるんや」ということを()って「()(なか)常識(じょうしき)(こわ)そう」と告発的(こくはつてき)運動(うんどう)をしていったんですね。(わたし)がその(ころ)()づいたのは、自分(じぶん)だけの(いか)りじゃないということ。障がい者(しょうがいしゃ)(くる)しみや(いか)りは個人的(こじんてき)問題(もんだい)じゃなくてみんなの問題(もんだい)なんですよ。

 でも、70年代(ねんだい)自分(じぶん)たちの(ちから)でやっていこうというのがあったけど、(いま)行政(ぎょうせい)なんかにお(まか)状態(じょうたい)批判(ひはん)はするけど自分(じぶん)行動(こうどう)しない。みんなしんどいことから()げている()がしますね。(むかし)のような極端(きょくたん)告発(こくはつ)運動(うんどう)()()れられないやろうけど、もっと自分(じぶん)()ろうとか、行動(こうどう)しなければいけないと(おも)うよ。


                           
                        

このページは2004年2月で更新終了しています。
2004年4月から、「まねき猫通信」はタブロイド版の新聞に変わりました。
新ページはまねき猫通信HOMEです(2006/09/06)